浜っ子道場その1「1859年」
FMSalus「TRIP TRIP」(日曜15-17)内でお送りしている
横浜を深く知り、より楽しむための浜っ子の為のコーナー
「浜っ子道場」シバブログ版。
テーマは「1859年」
最近、横浜のあちらこちらで「開港150周年」の文字をみかけます
2009(平成21)年に「開港150周年」を迎えるにあたって、
盛り上げていこうと、横浜は動き始めています。
その「開港」を迎えた「1859年」は、今の横浜が形成されるきっかけになった年。
1859(安政6)年とは、どんな年だったのでしょうか。
開港前の横浜の最大の街は、東海道の宿場町が置かれていた神奈川宿。
この神奈川宿の約4kmの所に、100戸ほどの半農半漁の寒村、横浜村がありました。
この横浜村が1859(安政6)年7月1日、横浜港として開港されます。
現在開港記念日は6月2日ですが、7/1は旧暦で6/2にあたるということです。
開港場の一つとして、大阪の名前が挙がっていましたが、
京都に近く、朝廷と関係して争いが起きるのをおそれたのと、
その当時の商業の中心であった大阪で、貿易がすすめられると、
江戸が経済的に衰えてしまう可能性があったことから、
江戸に近い横浜での開港がすすめられてきました。
さらに、横浜で一番に賑やかな神奈川宿での開港を、
アメリカ総領事官ハリスは希望していましたが、
台地と海に挟まれた地形で狭く、外国人居留地を設けたり、
日本の商人を移住させ、商店を設置するだけの広さがなかったことと、
街道に面して人が多く集まり、のちに生麦事件が起きてしまったように、
外国人の紛争や取締に問題があることなどから、横浜村が選ばれたのだそうです。
開港までの期間は三ヶ月しかなく、ハリスとは対立したままでしたが、
幕府はは9万6千両かけて、波止場や神奈川奉行所、運上所(税関)、
役人の住宅、道路、橋などをつくり、都市として整備して行ったのでした。
新しく生まれた横浜は、外国から「ヤングジャパン」と呼ばれ、
その魅力にひかれた貿易商・技術者などが多く集まり、
新しい文化交流が生まれました。
日本の各地から集まった人々は、その産業や文化を積極的に吸収し、
それぞれの出身地の文化を融合させる。「三日住めば浜っ子」といわれるような、
現在の浜っ子の基礎となる、開放的な市民気質を作り上げていきました。
すべての始まりが1859年。
他に比べれば、まだまだ新しい都市ですから、横浜はこれから。
150周年に向けて、そして未来はどのように変化して行くのでしょうか。
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