« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

ランキングジャパン(Ranking Japan)

ランキングって日本人は好きなのでは?
私もチャートの番組をやっていたけど、時代を反映している気がする。
だから、どうしてもみちゃうし気になっちゃう。
「Ranking Ranqueen」も見ると立ち寄っちゃうし・・・。

ランキングジャパン(Ranking Japan)」(http://www.rankingjapan.com/)は、
今話題のキーワードや、売れているもの、人気のもの等、
世の中の様々なランキング情報を集約したランキングのポータルサイト。
ブログで話題になっているキーワードをリアルタイムで集計した「きざし語ランキング」、
独自のアンケート集計より算出したオリジナルランキング、
Amazonの売り上げ情報と連携した「売れ筋ランキング」などがあります。
名字ランキング、温泉ランキングってゆーベーシックなものから、
関根勤ものまねランキングまで!なんで水森亜土が一位じゃないんだ・・・。

今なら、サイトオープンを記念して、ウィルコムのスマートフォン「W-ZERO3」、
iPod、PSP、ゲームボーイミクロなどのプレゼントが当たるキャンペーンを実施中〜
ってことで・・・私はもち、「W-ZERO3」狙いでいきます!  

img3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浜っ子道場その4「シウマイ弁当」

FMSalus「TRIP TRIP」(日曜15-17)内でお送りしている
横浜を深く知り、より楽しむための浜っ子の為のコーナー
「浜っ子道場」シバブログ版。
さて今日のテーマは…「シウマイ弁当!」

駅弁と言えばシウマイ弁当。駅弁激選区東京駅でも思わず買ってしまうのが浜っ子。
横浜でイベントが行われると、スタッフのお弁当はシウマイ弁当が定番です。
特に、5/3のザ・よこはまパレード(旧横浜仮装行列)では、
パレードに登場する崎陽軒のフロートが描かれた特別パッケージ!
そのお昼のシウマイ弁当が楽しみで私はお仕事をしてしまいます。
横浜スタジアムで野球観戦の定番も「シウマイ弁当にビール」です。断言します。

浜っ子にとって、駅弁キングである「シウマイ弁当」を生み出したのは、御存知!崎陽軒。
創業明治41年(1908)四代目横浜駅(現在の桜木町駅)駅長であった久保久行さんが、
退職後、駅のホームでお店を出し、出身地の長崎の別名「崎陽(さきよう)」からとって
崎陽軒と名づけました。昭和に会社組織になり、初代社長、野並茂吉さんは、
大船駅では鰺の押し寿司などのお弁当が有名だったので、
横浜らしい駅弁を考えていました。目をつけたのが中華街で突き出しでだされる事が
多かったシウマイ!コックさんも中華街から呼び、「冷めても旨い」ということに
こだわりって、試行錯誤の上、できあがったのが、昭和3年。
当初あまり人気はなかったそうですが、昭和25年に赤いチャイナのシウマイ娘が登場し、
人気が爆発。そしてついに、シウマイ弁当は昭和29年に登場するのです。
中身を全部言えますか?言えてこそ、真の浜っ子!
・ 俵ごはんに小梅と黒胡麻
・シウマイは五個!この個数も絶妙!?
・鮪の照り焼。私はしょっぱい魚といっていましたが、これがまたご飯にあう!
・ かまぼこ・鶏唐揚げ・玉子焼き お弁当の定番おさえてます。
・筍煮 味がしみていておいしい!
・切り昆布&千切り生姜 これも大好き!箸休めとしてはいってます。
・ あんず 私は最後に食べます。

彦麿呂風にいうと、「まるで宝石箱や〜」なお弁当。これだけそろって710円!安い!
ちなみにもう一つ人気のお弁当「横浜炒飯」はシウマイが2つ入って550円!ですが、
炒飯なのに、冷めてもおいしい!こだわりはお弁当の中に生き続けているのです。
味だけではありません。シウマイは赤、シウマイ弁当は黄色という印象的なパッケージも
アイデア。駅弁に必ず入っているアルコールを浸したお手拭きを使用したもの、
崎陽軒が最初で、陶器製の醤油入れ「ひょうちゃん」も、コレクターがいる程人気!

なによりも、シュウマイじゃなくて、シウマイっていうのがなんか好きです。
私が死ぬまで変わらずにいてね、シウマイ弁当。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浜っ子道場その3「山下公園」

FMSalus「TRIP TRIP」(日曜15-17)内でお送りしている
横浜を深く知り、より楽しむための浜っ子の為のコーナー
「浜っ子道場」シバブログ版。
今日のテーマは…「山下公園」

横浜の観光地の代表ともいえる有名スポットといえば「山下公園」。
面積は約7万㎡。大桟橋入口から山下埠頭までのおよそ1㎞に渡って海に面している
日本で最初の臨海公園です。ここは、1923(大正12)年9月1日に起きた
関東大震災の復興事業のひとつとして、震災の瓦礫を埋め立ててつくられました。
開園したのは1930(昭和5)年。それはまさに震災からの復興の象徴であり、
それから5年後の1935(昭和10)年には、復興を祝う復興博覧会が開催され、
舟溜まりに、クジラが入れられたりして、とても賑わったのだそうです。

戦後はアメリカ軍によって接収されていましたが、少しずつ返還され、
再整備が完了し、ほぼ現在の姿となったのが1961(昭和36)年。
また1988(昭和63)年に行われた「横浜博覧会」の時には、
地下駐車場と「世界の広場」などが整備されています。
そして芝生の広場や、バラの庭園、氷川丸や遊覧船の乗船場の他、
「赤い靴はいてた女の子」像や、「かもめの水兵さんの歌碑」、
姉妹都市サンディエゴから送られた「水の守護神像」、
震災時の市民の善意に感謝して、横浜インド商組合から寄贈された
インド式水飲み場「インド水塔」など、
見のがしてしまうくらい贅沢に、実は沢山の見どころがあるのが山下公園です。

私は大学の講議をさぼって、山下公園に一日いたことがありました。
潮風に吹かれながら、港を行き交う船や、カモメの姿をみているだけでも、
のんびりと時を過ごすことができます。思えば、一日いられてしまう公園。

又、山下公園西側に残っていた旧臨港鉄道高架跡を利用して、2002年春に
「開港の道・山下臨港線プロムナード」が整備されています。
これによって山下公園と赤れんが倉庫などがある新港地区とが遊歩道で結ばれて、
散策がより楽しめるようになりました。

近くにみなとみらい線の「元町・中華街」駅ができ、
電車でのアクセスも便利になりましたが、関内駅や石川町駅から歩くのも楽しいし、
桜木町から周遊バスあかいくつに乗ってもいい、
また、横浜駅東口からシーバスにのってもいける。
その行くまでの行程までもが楽しめてしまうのが山下公園。
さすが観光地横浜の顔です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

デジタル派!「o.d.m.」

私は、腕時計はずっとデジタル派。
ぱっとみて、時間がわかるっていうのが好き。
さらに、ストップウォッチがついていると最高なんだけど、
最近デジタルは少ない・・・。

でも、デジタルウォッチっておしゃれなものも多いです。
めちゃくちゃ気になっているのがコレ!

「o.d.m.」。

世界28カ国で販売され、ファッション関係者の間でクチコミで広がっている
時計ブランドだとか。

私は格闘技には詳しくないけど、「K−1ダイナマイト!」でホイス・グレイシーと
対戦したという所英男さんという方が愛用されているとかで注目されているんだ
そうですが・・・格闘家とは結びつかないけど、かわいい・・・。

女性雑誌「GLITTER」の3月7日発売号でo.d.mのプレゼントもあるそうですが、
う〜ん。普通に買い物中にみつけたら、買っちゃうかも。

watchimg2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浜っ子道場その2「鉄道」

FMSalus「TRIP TRIP」(日曜15-17)内でお送りしている
横浜を深く知り、より楽しむための浜っ子の為のコーナー
「浜っ子道場」シバブログ版。

さて今日のテーマは…「鉄道」

明治5(1872)年、日本ではじめての鉄道が、横浜〜新橋間に開通します。
長崎では、1852年にイギリス商人グラバーが蒸気機関車を走らせていて、
「我国鉄道発祥碑」というのが建てられていますが、乗客をのせて走ったのは、
こちらがはじめて!当時、歩いて一日かかったという29kmを53分で結び、
人々を驚かせました。今からくらべると、約2倍の時間がかかったわけですね。

開業式が開かれたのは横浜停車場。当初9/9に予定されていたのが、
雨によって延期となり、9/12に開業をむかえました。
運賃は、上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭。
当時の巡査の月給が3円だったということなので、
乗車できるのは一部のお金持ちの人。
発車時刻の15分前までにいくことなど、様々な乗車心得が駅にかかげられ、
汽車に乗るには、履物を脱がなけれなならなかったそう。
なので忘れ物の第一号は「下駄」でした。

横浜停車場があった場所が、現在の桜木町駅。
駅前の野毛方面側に、歩道橋に隠れて「開業当時の横浜駅長室」と書かれた石版と、
当時使われていた双頭レールで作った「鉄道発祥記念碑」があります。
又、新橋停車場の跡は、汐留の再開発で2003年に復元されて、
シオサイトの中にあります。

この鉄道建設を指揮していたのは、イギリス人技師のモレル。
ところが、モレルは工事半ばの明治4年に過労のため倒れ、
開通を見ずに亡くなってしまいました。
今も外国人墓地に眠っていますが、その墓石は鉄道乗車券型をしています。
山手十番館の前、外から見える所にあり、看板も立っているので、覗いてみて下さい。

みなとみらい線も開通し、素敵な駅も多い横浜。
駅に行ったり、電車に乗るだけで、楽しめたり、歴史を感じられたりします。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「スマッチ!住まいの達人ブログ」

私は、新築マンションのモデルルームに何度か足を運ぶ機会があり、
いくつか物件を見ていると・・・流行りもわかるし、善し悪しも
自然にわかるようになってきました。
住まいという、もしかしたら一生に一度かもしれない大きな買い物。
私はまだしたことはないけれど、難しいと思っています。
夢もあるけど、とにかく今までは知識がなかった。
それにニュー スで騒がれていることもあるし、
とにかく、知識をつけることって大事だなと思うのです。

私の大好きな(?)「住宅情報ナビ」のような様々な
紹介サイトもありますが、意見の交換ができるブログも登場しています。

「スマッチ!住まいの達人ブログ」http://blog.smatch.jp/

その道の達人の意見がきけるというのは、心強いですよね。
これからもブログは力を発揮しそうですね。
達人のブログポータルってのが、すごく貴重な意見をきけそうで、
住まい探しをしている人に役立ちそうです。
私が一番参考になりそうなのが「住宅情報ナビ ハッピーシングルライフ」
という住宅情報ナビ副編集長さんのかかれているブログかな?
(やっぱり住宅情報ナビ!)

「どう選んだらいいの?」という記事では、選び方について、
「一番大事なのは漠然と欲しい、と思うのではなく、
「これ!」というイメージをきっちり固めておくこと。
そして譲れる・譲れないの優先順位をちゃんと決めておくこと。」だそう。
色々なことに通じるような気がしますが、あたりまえのようでいて、
私は漠然と構えちゃいそう。
沢山のMRを仕事上でも見ていて、さらに実体験として
購入されている方の意見は説得力があります。

もし、お住まいについて色々考えられているようでしたら、
「スマッチ!住まいの達人ブログ」では、
「住宅ブログ OF THE YEAR 2005」http://blog.smatch.jp/prize
というコンテストを開催中で、面白い!と思ったブログに、コメント、
トラックバックするだけで、賞品も当たるようなので、
今のウチに是非!コンテストの開催は2006年1月25日までです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ボールマニア

F1001419

全米大ヒット!!

…なんていうと、映画のキャッチコピーみたいですが。

これはリップクリーム。
「効果と外見」
これは、コスメには大事な要素だと思うのです。

リップクリーム(リップバーム)は、数多く試しましたが、
私が愛用しているものの中に「トランスフォーミュラ」という
イギリスから通販で取り寄せたモノがあります。
これは、おそろしくもふっくらプルプルになるものなんですが、
何が入っているのか・・・ケミカルな匂いがきつい。
食べちゃって大丈夫なのかな、って気分になる。
そして、値段は4000円近く。

そこで登場したのがボールマニア。
匂いはバニラで、効果はトランスフォーミュラのよう。
そして値段が一つ1029円。
デザインは、10種類あって、外見もステキ。
コロコロころがってしまうのは、難点ですが、
これもデザインということで、許しちゃう。
とにかくかわいいので、3つも購入してしまいました。
誰にも教えたくないけど・・・人気が出そうカナ?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浜っ子道場その1「1859年」

FMSalus「TRIP TRIP」(日曜15-17)内でお送りしている
横浜を深く知り、より楽しむための浜っ子の為のコーナー
「浜っ子道場」シバブログ版。

テーマは「1859年」
最近、横浜のあちらこちらで「開港150周年」の文字をみかけます
2009(平成21)年に「開港150周年」を迎えるにあたって、
盛り上げていこうと、横浜は動き始めています。
その「開港」を迎えた「1859年」は、今の横浜が形成されるきっかけになった年。
1859(安政6)年とは、どんな年だったのでしょうか。

開港前の横浜の最大の街は、東海道の宿場町が置かれていた神奈川宿。
この神奈川宿の約4kmの所に、100戸ほどの半農半漁の寒村、横浜村がありました。
この横浜村が1859(安政6)年7月1日、横浜港として開港されます。
現在開港記念日は6月2日ですが、7/1は旧暦で6/2にあたるということです。

開港場の一つとして、大阪の名前が挙がっていましたが、
京都に近く、朝廷と関係して争いが起きるのをおそれたのと、
その当時の商業の中心であった大阪で、貿易がすすめられると、
江戸が経済的に衰えてしまう可能性があったことから、
江戸に近い横浜での開港がすすめられてきました。
さらに、横浜で一番に賑やかな神奈川宿での開港を、
アメリカ総領事官ハリスは希望していましたが、
台地と海に挟まれた地形で狭く、外国人居留地を設けたり、
日本の商人を移住させ、商店を設置するだけの広さがなかったことと、
街道に面して人が多く集まり、のちに生麦事件が起きてしまったように、
外国人の紛争や取締に問題があることなどから、横浜村が選ばれたのだそうです。
開港までの期間は三ヶ月しかなく、ハリスとは対立したままでしたが、
幕府はは9万6千両かけて、波止場や神奈川奉行所、運上所(税関)、
役人の住宅、道路、橋などをつくり、都市として整備して行ったのでした。

新しく生まれた横浜は、外国から「ヤングジャパン」と呼ばれ、
その魅力にひかれた貿易商・技術者などが多く集まり、
新しい文化交流が生まれました。
日本の各地から集まった人々は、その産業や文化を積極的に吸収し、
それぞれの出身地の文化を融合させる。「三日住めば浜っ子」といわれるような、
現在の浜っ子の基礎となる、開放的な市民気質を作り上げていきました。
すべての始まりが1859年。
他に比べれば、まだまだ新しい都市ですから、横浜はこれから。
150周年に向けて、そして未来はどのように変化して行くのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »