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浜っ子道場101「牛鍋」

横浜発祥の鍋料理があるのをしっていますか?それは「牛鍋」です。
しかもこれは、日本人が牛肉を食べるという肉食文化のはじまりでもありました。
ペリーが来航し、日米和親条約を結ぶとアメリカは、日本に食糧と燃料の補給を要求し、
その中に牛肉がありました。ところが日本で牛は、荷物を運んだり、
生活のために飼っていて、食べないのよそで調達してほしいと、
幕府は手紙を書いて要求を断ったのだそうです。
そして横浜に外国人居留地が開かれると、外国人は牛肉はなかなか手に入らないので困り、
付近の農家から牛を買おうとしても、農民たちは食用にされることを知って、
牛を売ることを拒んだのだそうです。外国から牛を手に入れ、しのいでいたようですが、
人が増えるにつれ足りなくなり、家畜商が、近畿・中国地方で牛を買い入れに成功すると、
その牛たちは、神戸港から船で横浜港へ運ばれ、これが神戸牛の始まりとなりました。

外国人が食べてうまいのなら、日本人もうまいはず…と考えるのが横浜商人。
文久2年(1862)、横浜入船町で居酒屋を営んでいた「伊勢熊 (いせくま)」が
日本初の牛鍋屋を開業。しかし妻に反対され、店の半分を仕切って営業。
ところがすぐに評判になって夫婦仲良くお店を続けたのだそうです。

慶応元年(1865)、石川県出身で、屋台で牛肉の串焼きをはじめた高橋音吉は、
末吉町二丁目に店を出すまでになりましたが、もっとうまい牛肉の食べ方を求め、
明治元年(1868)に牛鍋屋を開業。試行錯誤の末考え出したのが、鉄製のすき焼き鍋で、
ぶつ切りの牛肉を入れて1人前8銭。入り口に縄ののれんを下げていたので、
「太田なわのれん」と呼ばれ、現在まで続いています。音吉は酒飲みで、
朝からほろ酔い気分で、肉は薄く切らずにぶつ切り。これがお客に喜ばれたのだとか。
牛そばなどを商う屋台から出発したという「じゃのめや」も、
伊勢佐木町に牛鍋屋を構えたのが明治26年。それ以来100年以上、店を構えています。
そして牛鍋の名店、明治28年に創業の「荒井屋」は、武蔵野の荒井庄兵衛が、
ハイカラな横浜に憧れて出てきて、牛鍋屋を始めたというもの。
「文明開化のお味は路面電車のお値段で」というユニークな宣伝を打ち出し、
人気の牛鍋を安く味わえる庶民派のお店として大繁盛したのだそうです。

この肉食文化は、横浜から東京へと広がり、明治10年頃の東京に、
558軒の牛鍋屋があったのだそうです。そして上等なものはすき焼き、
並のネギを一緒に煮込むものは牛鍋と呼ばれ、一般家庭では昭和10年ごろまで
牛鍋と呼ばれ続けたようですが、多くは大正12年の関東大震災のころに、
すき焼きに統一されるようになったのだそうです。

その昔の日本で食べられていたシカ、イノシシなどのお肉は、
病人の体力回復などのために薬代わりとして食べる特別なものだったのだそうです。
今では、どんなお肉料理もごく普通に食べられるものとなりましたが、
それも横浜から広がっていったのです。
風邪気味で元気のない方は、横浜で牛鍋でも食べて、元気を出して下さいね。

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