浜っ子道場103「山下町公園」
横浜中華街の春節の行事の会場としても使われている山下町公園。
関帝廟通り、横浜大世界からも近くの所。
中華街の中に公園があるのを知っていますか?
ここには、2000年に「會芳亭」という建物が作られ、
2005年に行われた横浜トリエンナーレの会場になり、
ホテルとして利用された場所でもあります。
この山下町公園のある場所は、開港当時の居留地135番地で、
その当時横浜に暮らす中国人は1000人程だったのだそうです。
その中の有力者である、韋香圃(いかほ)が、
この地に明治3年(1870)頃、劇場兼、料亭である「會芳楼」を開きました。
その頃の居留地では劇場は珍しかったので、
中国人、西洋人、そして日本人も利用する娯楽施設だったのだそうです。
中国からの名優を招いての演劇や、西洋人のアマチュア劇、
日本人の綱渡りなどの曲芸が披露され、浮世絵にも描かれたのだそうです。
ところが、會芳楼はその後経営者の交替などが影響して明治10年頃には姿を消します。
当時の中国は清(しん)の時代、明治4(1871)年に日清修好条規を締結し、
それにもとづいて清国から公使・領事が派遣されていました。
横浜の居留地145番地にあった清国領事館は、横浜に暮らす中国人だけでなく、
築地居留地、函館居留地に暮らす中国人も管轄していました。
そして明治16年(1883)8月、會芳楼のあった135番地に
清国領事館の新館が落成し、それまでにあった領事館が移転してきました。
その後1911年に中華民国が生まれ、横浜の清国領事館も中華民国領事館となり、
関東大震災で明治時代の領事館の建物は倒壊しましたが、再建後1932年頃まで同じ
135番地にありました。
山下町公園は、2000年に改修工事が行われました。
その際、地表を60センチほど掘り起こした所、明治時代フランス人実業家ジェラールが、
山手で製造していたジュラール瓦や、居留地時代の下水道を作る際に使用された。
小菅集治監製のレンガ、陶器の破片などが発見されました。
これらは、関東大震災で倒壊した当時の物だといわれています。
今では静かな小さな公園となっている135番地。
ここは、中華街の中心地として、その発展の歴史を見続け伝える場所なのです。
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