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浜っ子道場114「横浜の時計」

2008年4月15日。
横浜駅東口にあるそごう横浜店の地下2階入口にあった「からくり時計」が、
老朽化ということで、終了してしました。

入り口の上を見上げるとあるからくり時計は、待ち合わせの目印となっています。
2.4m四方の大きさで、毎時「イッツ・ア・スモールワールド」の曲が流れるとともに
文字盤が反転して世界各国の民族衣装をまとった人形24体が登場し、
その時間の前には、人形の登場を待つ人の輪が、何重にもなり、
子供の頃は、それを楽しみに買い物に行ったものです。
この時計の名前は、「世界の人形時計」といい、全国にあるそごう12店のうち、
現在も10店舗に残っていましたが、15日ですべて終了したのだそうです。
横浜にあるのは、昭和60年(1985)の開店時に設置した、第1号のものでした。
16日からは時計だけの機能で継続しています。

からくり時計は、伊勢佐木町にもありますが、街のランドマークとなるような時計は、
横浜では、世界一の大きさのコスモクロック21が唯一のものになるのかもしれませんね。
横浜が開港された頃の日本では、時刻が「日の出・日の入り」をもとにして
季節ごとに変わる「不定時法」を採用し、現在のような時計は使われませんでした。
日本で、時を一定に刻む「定時法」を採用したのは明治6年。
このような目印となる時計、時計塔などは、明治以降、時を知る手段として、
また文明開化のシンボルとして親しまれ、建てられるようになりました。

その頃の横浜で、時計を広めるために奔走した外国人がいます。
フランソワ・ペルゴ。
スイス時計のパイオニア、ジラール・ペルゴ社・創業者一族のうちの一人です。
未知の国、日本に憧れたフランソワは、当時贅沢品だった懐中時計を、
日本に広めたいという夢を抱き、文久元年(1861)、横浜に上陸しました。
当時、英・米・仏・蘭・露の5カ国にしか門戸を開いていなかったため、
フランス人使節団の一行に紛れ、身分を偽って入国したといわれています。

スイスの「ジラール・ペルゴ」の時計は、日本で初めて販売されたスイス時計で、
わずかながら売れたようですが、フランソワは、それだけでは生計が立たたず、
外国商人の懐中時計の修理をしたり、商船に積み込む飲料水を販売したりして、
横浜に暮らしを続けました。居留地で「スポーツ射撃クラブ」の会長を務め、
西郷隆盛などの明治新政府要人と交流を持ったようですが、大金を得られる
武器は売らず、東京に足場を移すこともなく、「横浜に住む」ことにこだわり、
来日から16年後の明治10年(1877)、脳出血のため43歳の若さで亡くなり、
横浜の外国人墓地に埋葬されました。

この頃から懐中時計が普及しはじめ、そしてこの懐中時計を腕に巻き付け、
世界より先に腕時計化していった日本の時計。
平成18年には、フランソワ・ペルゴの名前が刻まれ、
世界時計の中心が「YOKOHAMA」となった限定モデルの腕時計が、
ジラール・ペルゴ社から販売されています。

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» 終了していた「世界の人形時計」 [mingoh's観戦レポート]
久々に「横浜駅」へ「東口」からに乗ろうと「横浜そごう」の前を通り掛かったら、ちょうど「18時」いつもなら「横浜そごう名物」「It'saSmailWorld」の曲が流れ、人形が出て来る「世界の人形時計」なのだが…ならない…老朽化の為、先月15日で終了してしまったそうだ。〈...... [続きを読む]

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