« ムラングダマスクローズ | トップページ | 浜っ子道場119「野口英世」 »

浜っ子道場118「新聞」

日本で初めて新聞が発刊されたのは、横浜。
1861年(文久元)に 創刊された「ジャパン・ヘラルド」は、
一般大衆を対象に、活版印刷によって定期的に出版された最初の刊行物で、
1863年(文久3)には、日本最初の日刊紙「デイリー・ジャパン・ヘラルド」が
創刊されていますが、これらは、横浜に居留地していた外国人商人の手による
外国語新聞で、貿易情報や海外や横浜のニュースを 中心に構成されていたのだそうです。

日本人の手によるものは、1864年(元治元)。ジョセフ彦によって発刊されました。
ジョセフ彦という人物は、1837年(天保8)現在の兵庫県、播磨町古宮に生まれ。
13歳の時に江戸見物を終え、故郷に帰る途中の栄力丸という船で遭難してしまします。
アメリカの商船に救われ、アメリカで勉学に励み、1858年に、
日本からの帰化第一号としてアメリカの市民権を得ました。
そしてキリスト教の洗礼を受け、「ジョセフ」のクリスチャンネームを用いて、
ジョセフ彦と名乗るようになったのでした。
開港された1859年(安政6)に帰国し、アメリカ領事館の通訳として、
日米修好条約の締結などに奔走。1861年(文久元)、3度目の渡米をしたときには、
リンカーン大統領と会見する栄誉に恵まれ、
民主主義の理念を伝授されたとも伝えられています。
南北戦争の激戦地ゲティスバーグでの演説でのリンカーン大統領の名言、
「人民による人民のための人民統治」という言葉とその反響を載せた
「ニューヨークタイムズ」を目にすることによって、
このことを一瞬にして国民に知らしめた新聞の威力に感嘆し、
日本での新聞の発刊に挑み始めました。攘夷派の浪士から、
アメリカ文化を持ち込む危険人物とみなされ、命を狙われるなど、
その道のりは困難を極めましたが、1864年、我国最初の新聞「新聞誌」を創刊。
当初はすべて手書きで、全5部、無料で配りました。
翌年には「海外新聞」として、「童子にも読める新聞精神」を提唱し、
木版印刷となりましたが、1か月平均2回、毎号100部程度、
ほとんど無料で配付したのだそうです。現在、中華街の中にある居留地141番は、
ジョセフ彦の居住地の跡で、日本国新聞発祥の地碑が建っています。

我が国初の日本語による日刊新聞は、1870年(明治3)、
現在の中区北仲通5丁目で横浜活版社から創刊された「横浜毎日新聞」です。
紙面の内容は、外国船の出入りや貿易品など貿易に関する情報を中心に、
両替相場から天候に至るまで多様で、その後、政治、経済の中心として
東京が発展するのにあわせて、「東京横浜毎日新聞」と改め1879年(明治12)に
発行所を東京に移転。その後、「毎日新聞」、「東京毎日新聞」となり存続していましたが、
昭和16年に廃刊されました。現在の「毎日新聞」とは関係がないそうです。
現在は横浜第二合同庁舎となっている旧横浜生糸検査所構内に、
「日刊新聞発祥の地」記念碑が 建っていたのだそうですが、
現在、保管され、公開はされていないのだそうです。

2000年(平成12)には、日本大通りの旧横浜商工奨励館が「横浜情報文化センター」に
リニューアルされたのに伴い、「新聞のことなら何でもわかる」をテーマに、
日本新聞博物館「ニュースパーク」がオープンしています。
ビルに入ると、大きな輪転機があり、びっくりしますよ。
新聞の歴史を実物や映像などで解説し、現代の新聞社の活動や
最新の新聞製作技術について紹介。また新聞製作工房で、新聞づくりも体験できます。

|

« ムラングダマスクローズ | トップページ | 浜っ子道場119「野口英世」 »

「横浜・浜っ子道場」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/76508/41434697

この記事へのトラックバック一覧です: 浜っ子道場118「新聞」:

« ムラングダマスクローズ | トップページ | 浜っ子道場119「野口英世」 »