浜っ子道場119「野口英世」
5月の横浜は、第4回アフリカ開発会議が開かれたこともあり、
アフリカ月間でしたね。
そして、今回、第4回アフリカ開発会議の中の重要な行事として、
「第1回野口英世アフリカ賞授賞式」が横浜で開催されることになりました。
野口英世アフリカ賞は、正式名称を「野口英世博士記念アフリカの医学研究・
医療活動分野における卓越した業績に対する賞」といい、
「野口英世博士の志を引き継ぎ、アフリカでの医学研究・医療活動の
それぞれの分野において顕著な功績を挙げた方々を顕彰し、
もって人類の繁栄と世界の平和に貢献することを目的とする政府賞。」とのことで、
賞金は、医学研究・医療活動それぞれに1億円授与されるのだそうです。
野口英世は、アフリカ・アクラで黄熱病の研究中、博士自身が黄熱病に感染し、
昭和3年、52歳で壮絶な死を遂げています。
横浜の関わりは、「長濱検疫所」にありました。
日本では明治10年頃から、コレラが猛威を振い、神奈川県では、
横須賀に長浦消毒所を開設しますが、日清戦争で横須賀軍港の拡張に迫られ、
明治28年に人家の少ない横浜市金沢区長浜に移されました。
そして明治32年4月。「横浜海港検疫所」として設備を一新。
この時、野口英世が検疫官補として赴任して来たのでした。
野口検疫補は、横浜港に入港した「あめりか丸」の船中で、
高熱にうなされている2人の船員を発見、細菌検査の結果「ペスト患者」と診断。
適切な措置によって、黒死病と恐れられていたペストの日本上陸を
水際で食い止めるという功績を上げ、これらの実績を買われた野口英世は、
当時ペストが蔓延していた中国へ日本政府医師団の一員として派遣されました。
長浜検疫所の在勤はわずか5ヶ月に過ぎませんでしたが、
かねて熱望していた渡米のチャンスをつかみ、世界的細菌学者への道を歩み始める、
そのきっかけとなったのが、長浜検疫所だったのです。
現在、長濱検疫所跡地は、長浜野口記念公園として整備されています。
園内には横浜検疫所の旧事務棟の外観を復元した長浜ホール、
野口英世博士ゆかりの研究施設として国内唯一の細菌検査室を保存し、
検査室では資料等も展示しています。
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