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浜っ子道場200「横浜絵葉書 」

最近は、メールが増えてきて、私も郵便を利用する機会が減ってしまいました。
観光地のお土産品となっている絵葉書。
これも見かける機会は少なくなってしまいましたが…
これが、横浜では重要な歴史資料として活用されています。

横浜の開港からの歴史を伝える開港資料館では、
横浜の風景絵葉書を中心として、約2万点の絵葉書を所蔵、
横浜都市発展記念館でも、歴史資料として絵葉書を収集・保管し、
現在、その中から昭和戦前期を中心とした絵葉書約600枚が、
インターネット上で公開されています。

絵葉書は横浜の景観や人々の風俗の変遷などを伝える
貴重な歴史画像資料とされています。
絵葉書は、1900(明治33)年に制定された郵便規則で、
私製葉書の作製と使用が認められたのが
きっかけで広まったのだそうです。

その後、万国郵便連合加盟25年祝典・日露戦争などの記念絵葉書の流行で、
絵葉書ブームが到来。庶民の通信手段・趣味の対象として普及した絵葉書は
安価で大量につくられ、多くが収集家の手で伝えられてきました。
1909年の横浜開港50年祭など、歴史の節目を伝える絵葉書が発売され、
そこには、当時の風景や人々の姿が写しだされています。

これらの絵葉書は、写真製版技術の普及によって安価に作られる事ができました。
絵葉書で使用されたコロタイプと呼ばれる写真製版技術は、
1870年代にドイツで開発されたといわれていますが、
この方法はゼラチンを版面とする写真印刷法で、一つの版で数千枚しか刷れず、
印刷スピードが遅いなどの欠点はありますが、
高画質で、書画・水墨画などの美術印刷に適しているのだそうです。
日本ではアメリカで技術を習得した小川一真が、1888年に写真版印刷業を始めたのが
最も早く、その後写真版に手彩色をほどこすことも行われました。
横浜では、上田写真版合資会社、星野屋、トンボヤ、カール・ルイスなどが、
絵葉書作製に携わったといわれています。

これらの彩色写真が外国人向けのお土産として作られ、
明治20年代にスーベニアル・アートとして
発達し、絵葉書もその技術と伝統を受け継いでいます。
当時の彩色絵葉書は、写真師が撮影した風景や人物の写真を、
絵葉書となる紙にコロタイプで墨刷りし、それに一枚一枚、
手で彩色をほどこすことによって完成。
彩色は、まずプロの画工が絵付けの見本をつくり、それにもとづいて、
内職の女性たちが手彩色の作業をおこなったのだそうです。
こうした分業により、現在に伝えられる彩色絵葉書がつくられました。
大正期に入り、関東大震災によって絵葉書製造に携わっていた人々も
大きな打撃をうけ、震災以後、イエロー、シアン、マゼンダの
3色インキからなる多色刷絵葉書の時代になり、
震災復興期の街の変貌や1935年に行われた
横浜復興大博覧会の様子を伝える絵葉書が多数つくられました。

横浜は震災、空襲を受け失われてしまったものも多数ありますが、
各地に送られて行った絵葉書が、その歴史を伝える役割をしているのですね。
あまり観光地でも見かけなくなった絵葉書。
今年は、利用してみてはいかがでしょうか。

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